こどもが持つ不思議な能力。大人が存在としてこどもに劣る理由。
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こどもの成長は大人のそれと比較にならない。
これは周知の事実です。
そして今、私は娘を持った親として、その事実を目の当たりにしています。
仕事柄、休日しか顔を合わせる機会が無いのですが、それ故に一週間の成長度合いが良くわかり、そのスピードに日々驚いています。
娘がこの世に誕生したのは、2014年12月13日。幸運にも出産に立ち会うことができました。
私は休日出勤。妻に、もし本陣痛が始まりそうであれば直ぐに連絡するようにと伝え、仕事場へ向かいました。
その日は会議であったため、スマホをマナーモードにして自分の右側に置き、連絡が有れば直ぐにでも病院へ駆けつけられる状態でした。
しかし会議は昼過ぎ位には終わり、結局それまでに本陣痛の予兆は見られず、そのまま急いで病院に向かいました。
病院に到着すると状況は一変しており、妻は陣痛と格闘中で、身を捩りながら痛みに耐えていました。
私は痛みに悶える妻を介抱しながら、出産に間に合った安堵と、数時間後には娘と対面できるという期待、また無事に産まれて来るであろうかという不安など、複雑な感情が絡み合い、何とも表現しがたい気持ちに苛まれした。
数時間が経過したでしょうか。本陣痛が始まったため、妻は分娩室へと移動しました。
そして、分娩室に入ってからおよそ15分ほどで私も室内に呼ばれました。
助産師さんの指示に従いながら、妻が力むタイミングに合わせて、頭を支えたり手を握ったりと繰り返すこと20分ほど。
「うーっ、、、」という妻の最大の力みの直後、助産師さんの手元を見ると、赤ちゃんらしき姿が見えました。
姿が見えて数秒。恐らく2秒も無かったのではと思いますが、その間の妻の表情を未だに覚えています。
妻は、娘が肺呼吸に切り替わる瞬間、つまり産声を上げたかどうかを確認するために、全神経を聴覚に集中していました。世の中には不幸にも死産となるケースが、数%ではありますが存在しています。
妻も当然それを知っている訳で、産声を聞くまでは不安であったでしょう。
娘がすぐに元気な産声を上げたとたん、妻の表情は歓喜と安堵の表情に包まれました。
出産への立ち合いが出来て、良かったと心から思えた瞬間です。
赤ちゃんとの不思議な時間
その後、測量のために娘と私は別室へと移動し、助産師さんは娘の身長、体重など測定をした後、
「準備をしますので、少しここで赤ちゃんとお待ち下さい」と言い残し、そのまま部屋を後にされました。
私は初めて対面する娘の顔を覗きながら、色々なことを考えました。
この混沌とした世界に娘が生を受けた意味、そしてその中で私達を選んだ意味。
とんでもない時代に生まれてしまったことを、哀れむ気持ちと、その時代を作り上げてきた我々自身への悔恨の念など。
そんな事を考えていると、娘はそれを察したかのように、いままで固く閉じていた目を急に見開き、じっと一点を見つめました。
まずは、私の顔を見つめ、その後辺りを確認するかのように、部屋全体をぐるっと見回したのです。
新生児には視力は無く、目は開いていても、対象物を認識出来ないという事が定説のようですが、果たしてそうでしょうか。
相手がその対象物を認識出来ているかどうかを他人が知ることは、現実問題不可能でありますが、
私は娘が自分の目でそれを確認し、妻の体内に居た数時間前と、今現在自分が置かれている状況の違いを、理解しようとしているとさえ思えました。
大人は言語により思考します。しかし、これはあくまでも近代の人間における定義の話で、言語を持たないこどもや、動物や、植物が言語を以外の方法で思考をしているのではないかという疑問を、否定することは困難です。
それは、言語によって世界を理解、そして表現している以上、言語以外のコミュニケーションのなん足るかを、言葉で表す事は不可能だからです。
話が逸れるのでこの辺にしますが、まだ言語を持たない娘が感覚的に外の世界を認識しようとしている姿は非常に神秘的でありました。
また我々がとうの昔に忘れ去った感覚が、娘には備わっている。そう思わずにはいられませんでした。
そんな娘も、もう1歳3ヶ月。既に複数の言語を習得するに至り、所謂我々が定義するところの人間像に近づいてきました。
今後は彼女も私達と同じように、言語を駆使しながら思考を行うことでしょう。
しかしながら、言語は人間同士が円滑にコミュニケーションを取れるように作り出された単なるツールにすぎません。
このツールを過信しすぎるあまりに、現代社会は言語の海に支配され、また全てを言語によって理解しようとすることで、感覚的なものが失われてしまったのでしょう。
私も正しくその1人であり、このように文章を書くという行為自体も、その最たるもであるという皮肉。もうそこから抜け出すことは難しいのかもしれません。
ただ娘には、その単なるツールに過ぎないものから派生する、価値観やレッテルに支配されることなく存分に人生を謳歌してほしいと思っています。
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