じゆうなブログ

日々の素朴な疑問を中心に、得た情報を自分なりに解析して文章にしています。

死後の世界はある?ない?死後の世界の存在有無を独自の目線で分析しました。

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突然ですがみなさま「死後の世界」はあると思いますか?ないと思いますか?

 

 

 

 

人それぞれ色々なご意見があるかと思いますが、結論から言いますと私は、

 

 

 

 

「100%死後の世界はない」と考えます。

 

 

 

 

何故そう結論づけたのか。その説明をする前に、そもそも

 

 

 

 

「死後の世界とは何を指すか?」

 

 

 

 

その定義の確認から致しましょう。

 

 

 

私が定義する「死後の世界」とは以下の2点です。

 

 

 

 

死後の世界の定義

 ①脳機能停止及び、心肺停止によりいわゆる「死亡」と判断された後に、現実世界(生前の世界)とは別の世界へ、肉体を持たずに移行をする。

 

 

②また、その死後の世界では死者同士が意思を疎通(会話)をしたり、幸福を感じたりと、生前に近い行動や感覚を得ることができる。

 

 

 

 

 

死後の世界のイメージ

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国によって死後の世界を視覚化したイメージは異なりますが、日本では「お花畑」が最もメジャーかと思います。そもそも国によってイメージが異なる事がその世界が存在していない事の証明でもある気がしますが・・・。

 

 

 

さあ話を戻しまして、では②のように死後も生前と同じように見聞きをしたり、「楽しいな」というような感覚を得たりすることは可能なのでしょうか。

 

 

 

答えは「NO」です。悲しいですがあり得ません。何故か。

 

 

 

そもそも「楽しい」「苦しい」と定義する感覚自体、脳を媒介として得られる一種の電気信号です。

 

 

 

 つまり脳の機能が停止している=今我々が感じているようなものと同じ感覚を得ることはできない。

 

 

ましてや人と会話をするなどということは到底不可能と言うわけです。

 

 

 

たとえば、熱いという感覚を司る脳器官の一部を停止したと仮定しましょう。その場合、いくら熱いものに触ったとしても、火傷はしますが熱いという「感覚」は一切なくなります。

 

 

 

これは一部の脳機能が停止した場合の例ですが、今回は「死亡」=「脳機能の停止」と定義づけています。 

 

 

 

ですので、脳ありきで感じることができる様々な現象を、脳機能が停止している状態で再現できるという方が無理があるでしょう。

 

 

 

ましてや、会話をするなどという行為は最も脳が発達した人間にのみ今のところはなせる技であり、脳が停止している状態では会話も何もないです。

 

 

 

 

 では「臨死体験」の事例はどう説明をするのか?彼らは嘘をついているのか?

 

 

 

 

この説明は造作もないです。あれは活動している脳が作り出した単なるビジョンに過ぎません。蘇生した方が「臨死体験を自ら語る」訳ですから、「脳死」にまでは至らなかったということです。つまり臨死体験中は脳が機能しているということになります。

 

 

 

 

よく死後の世界があるという事の証明で、医者が臨死体験者の証言を引き合いに出す場合がありますが、医学の知識がありながら、何故そうなるのか理解に苦しみます。

 

 

 

 

という事で②については個人的には「あり得ない」と結論付けました。

 

 

 

では①はどうか?

 

 

 

「死後肉体は消滅した後、何も残らない」のか。

 

 

 

また、死後現実世界とは別の世界へ以降する可能性はないのか。という問いに関しては、100%無いとは言い切れません。

 

 

 

死後肉体が消滅した後、何も残らない(物質としてすべてが消滅する)ということを、証明できないためです。

 

 

 

仮に物質が残ると仮定した場合、その物質が現実世界(3次元)以外の次元へと移行する可能性も否定出来ないとは思います。

 

 

 

しかし、この場合でも我々が認識するところの「自分」という個体、所謂自我があり、自分の頭であれこれ考えることができ、自分と他者を区別する存在という定義で考えると、その「自分」は既に消滅しています。

 

 

 

つまり別の次元に移行しようが、「自分」はどこにも存在せず、その次元(死後の世界)を今と同じ感覚で認識することは脳が無い限り不可能ということになります。

 

難しい話ですが、認識できないということは『ない』と同義になります。

 

 

なので結論としては、

 

 

 

死後なんらかの物質は残存する可能性はあるが、それが今の自分と同じような感覚を有する存在ではない。

 

 

と考えます。

 

 

 

やはり一つ前の

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にて説明させていただいた通り、人間は「土にかえる」所謂原子レベルまで分解され地球の一部になる(宇宙の一部になる)と考えるのが自然なのかなと思います。

 

 

その一部が土となり、草木となり、動物の餌となり、それを人間が食べ成長していく、やがて肉体は朽ち果て土となるということを考えると、これが仏教でいうところの「輪廻転生」なのかもしれません。

 

 

昔の人はそれを感覚的に理解していて、「土になる」ではなく「土にかえる」と表現したのかもしれませんね。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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