じゆうなブログ

日々の素朴な疑問を中心に、得た情報を自分なりに解析して文章にしています。

【お金の仕組み】とは。詐欺から生まれたお金の本質は「負債」であるという事実。

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貴方は「お金」の仕組みについて考えた事があるだろうか。

 

現代人は物心をついた時分からこの、「お金」の仕組みの中に組み込まれ「お金」を主軸とした生活を送っている。そして当たり前に存在しているものが故に、「お金」の本質について考える機会は少ない。

 

その位「お金」は我々の生活に密着し、無くてはならないものになっている。ましてや「お金の仕組みについて」学校や社会で教わる事など皆無に等しい。

 

私自身も例に漏れず、今までこれについて深く考えてはこなかった。一度だけ考えた事があるとすればそれは小学生の時である。

 

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当時私は中学受験をするために、地元の進学塾に通っていた。その塾は御三家中合格者数で当時からトップを誇る全国でも有数の塾だった。

 

私は何を間違ったかその塾の入塾テストに合格してしまい、一番上のクラスに席を置く事になった。そのクラスは全国でもトップレベルに優秀なこども達が集結しており、普段自分の通学する公立の小学校における同学年のそれとは、知的レベルに大変大きな差があった。

 

そんな場違いな環境で、萎縮しながら授業を受けていく中、ある時「歴史」の授業にて、明治維新後の「金本位制」の導入検討について触れる単元があった。

 

金本位制の仕組み自体は大して複雑なものでもないため、小学生の私でも直ぐにその意味を理解できた。だが、次にその講師が補足として付け加えたある内容に、大きな疑問を抱く事になった。

 

それは、現在における紙幣は「金本位制」には準じない。所謂「不換紙幣」と呼ばれるものである。というものだった。

 

これを受け当時の私は、こう思った。

 

じゃあ国家はお金(紙幣)をもっと増刷すれば貧困に喘ぐ国なんて無くなるじゃないか。

 

この様な、こどもの時分であれば誰でも考えるであろう至極単純な疑問が沸き起こってきた。そして私は無謀にもその疑問を塾講師にぶつけてみたのである。

 

結果は、みなさんの予想通り散々なものであった。「紙幣は刷り過ぎたらインフレになるだろう」「紙幣の価値が下がるって事だ」「バカだな。そんな事このクラスの皆は全員知ってるぞ」といった心無い返答が返ってきた。一瞬にしてクラスの笑いものになってしまった。

 

私は、安易に質問をした事に対して激しい後悔の念に駆られると共に、今後一切質問をする事を辞めようと心に誓った。

 

余談だが、こどもの頃のこの様な体験は大人になった最近まで、「トラウマ」として自分の心の奥深くに刻まれてしまっていた様だ。それが故私は社会に出るまで「疑問があっても一切質問をせず、自分で考える」という癖がついており、よく当時の上司に「何故質問してこないんだ」と叱責された。

 

「心無い言葉を大人から浴びせられる事」がどれほどその後のこどもの人生に影響を及ぼすのかを考えられない、いや考えることを放棄する様なクズ講師は「人にものを教える」立場に立つべきではない。このクズ講師から学べたことと言えば、コイツを反面教師として、将来自分の娘が私に疑問を投げ掛けてきた際、その全ての疑問に耳を傾け全力で回答しようと思ったこと位だ。

 

 話は脱線したが、この様な事があったこともあり、冒頭に話をした「お金の本質」について、今まで全く考えることもなく来てしまった。

 

しかし、今の会社が上場するという大きな転換期があり、それがキッカケでこの事について今一度考えてみようと思ったのである。

「お金」の起源とは何か

 

「お金」の起源は、物質としての「金」を主軸とした「金本位制」からスタートしているが、そもそもお金という存在が無かった時代、人間は、目的のものを得るために「モノとモノを交換する」所謂「物々交換」を主体としていた。

 

「物々交換」というものは一見簡単に見えて非常に難しい。それは交換を成立させるためには、その交換という行為を行う者同士の、交換物に対しての「価値基準の一致」が必須条件であり、この基準が合わなければ商談は破談となるためである。

 

想像にはなるがこのやり方の場合、中々交渉が成立せず、目的のモノとの交換が完了するまでに、かなりの時間を有したのではないかと思う。

 

この「時間」を短縮するために創出されたものが物質としての「金」である。各個人が持つそれぞれの価値基準を合わせるために「金」をその統一基準として用いたという事である。

 

しかしだ、ここで沸き起こる疑問は、何故「金」がその様な存在と成りえたのかという事である。

 

これには諸説あり、私自身も明確には分かっていないが、恐らくは古代から培われた「金は権力の象徴である」「金は美しい」という共通認識に基づくものではなかろうかと思う。

 

古代遺跡などの、特に王族が住む建物や食器などの装飾に「金」がふんだんに用いられていたという事実から、当時から権力者が好んで使用していた物質であるという事が分かる。これにより「金は権力者の象徴」だと、関連付けがなされたと想定できる。

 

ところが、それを「美しい」と感じる理由。これは私自身にも良く分からない。正直私は生まれてこの方「金」を美しいと思ったことが一度もない。自分がマイノリティーなだけなのか。いや、「金」を美しいと思う事自体、ある種の洗脳状態にかかっているだけの様な気がしてならない。

 

以下も私の推測になるが、恐らくこういうことではないだろうか。

 

当時の権力者の1人が「金」を美しいモノであると感じ、それを自らの所有物に使用し始めた。大衆はそれを見て「金」を特別視するようになる。当然採掘量が少ない事による希少価値もあって「金」は益々特別視されていく。

 

そして、その権力者が「金」を好む理由を「美しいからだ」と説明する。大衆はそれを聞いて「金は美しいモノである」と刷り込まれ、その価値観が後々まで継承されてしまった。という事ではないだろうか。もし同じような条件が当てはまれば、その権力の象徴たる「金」の色は「ゴールド」ではなく、「グリーンやピンク」であっても何ら不思議ではない。たまたま「金」を美しいと感じた人物が権力者であり、その権力者への劣等感から、「同じものを持てば彼に近づける」というような心理を生み出した結果「金」が神格化されただけではなかろうか。

 

この仮説の正誤はともかく、これに近い理由によって「金」を持つことは、結果的に自らが他者に対し優位な立場に身を置けるという、人間ならではの「価値基準」を生み出したという事になる。

 

それでは、物質としての「金」から現代における「お金」へと変遷して行った経緯を見てみよう。

「お金」は何故「金」の代わりと成り得たか

 

物々交換から「金」を基準とした交換制度へと変化した理由は、前述の通り「交換という行為そのものの効率化」を求めたからに他ならない。

 

そしてこの「効率化」こそが今回の話のキーワードになるため、忘れずにいただきたい。

 

「金」が価値として認められ一般に周知される事となると、富豪と呼ばれる所謂「金」を大量に所有する人々が現れる。これらの人々は、「金」を自宅に保管し、必要なときに保管庫からそれを取り出すということをしていた。

 

しかし、自宅に保管をすることはセキュリティの面から見て非常に脆弱性が高い。中には強盗に入られ盗まれてしまうという事態も当然あった筈だ。そこでAという人物がある商売を思い付く。それは、「金の保管を代理し、保管手数料を取る」という商売だ。

 

Aは富豪のB,C,Dさんから「金」を預り、その預かった数量を示す「引換券」を発行した。この引換券と現物の金を交換できる仕組みだ。

 

当初Aさんについていた顧客はB,C,Dの3名だけであったが、画期的な仕組みが編み出されたと噂を聞いたE,F,Gさんが新たな顧客となりその後、彼らの口コミにより芋づる式に顧客数は増大していった。

 

すると、顧客の間にある変化が起こった。それはモノを購入する際、今までは逐一金庫から一定量「金」を引き出し、モノを購入するという行動を基本としていたが、そもそも引換券とは「金と交換できる保証がついた紙」である。であるならば、わざわざ金を引き出し、モノを買わずとも「金と交換できる保証がついた紙」=「引換券」をそのまま商品販売者に渡せば同じことではないか?と考えたのだ。

 

これにより、預金者は「金」を引き出さずに、その保証のついた「引換券」を使用し、売買を行うようになった。

 

そしてこれを見たズル賢い貸金庫業者のAは考えた。

 

世間では「金」を保管庫から引き出さず、自らが発行した引換券がそのまま売買に使用されている。ならばこの引換券自体を人々に貸し付けることで利子を取る商売ができるのではないか。

 

つまり、「金」に裏打ちされた価値を基に発行されていた引換券自体を、「金」の保有量に関係なく発行してしまおうというものである。

 

これが「紙幣」及び「銀行業」の誕生の瞬間だ。正に詐欺によって生まれた仕組みが、現代の銀行の起源という訳なのだ。

 

分かりやすくするためにかなり簡単に纏めてしまったが、当然このやり方には穴がある。それは、引換券の所有者が一度に「金」への換金を求めてきた時だ。

 

事実そのような事が、どうやら起きてはいたようだが、その場合は他の銀行と「金」を共有し、一時的にその危機を切り抜けていたと言われている。

 

更に厳密に言えば、usドルは「この疑似金本位制」の詐欺が余りにも肥大化してしまったことを危ぶみ、1971年に、過去長らく紙幣価値を裏付けていた「金」から「石油」に鞍替えすることで「石油本位制度」へと移行した。石油の取引はドル建てである。つまりドルでしか取引は出来ない。これがusドルが世界の基軸通貨たる所以である。そして、その後そのドルの力を維持するために、我々の生活のあらゆる場面で石油が登場する事となる。支配層はとんでもなく狡猾なのだ。それを肝に命じてほしい。

 

では次に現在の銀行システムについて、説明しようと思う。

「無」から「有」を創造するFRBとは

 

皆さんはFRB(連邦準備制度)をご存知だろうか。分かりやすく日本国内に有るもので例えると「日本銀行」と近いものだと考えていただいて良いだろう。

 

しかし、1つだけ大きな違いがある。それは「日本銀行」の株式の55%は日本政府が所有している(と言われている)

 

では「FRB」はどうか。これが驚くべきことに、なんと100%民間が所有している。米国政府は1%の株式も保有していないのだ。そのため米国政府は通貨発行権を持たないのである。つまりどういうことか?

 

米国政府(財務省)は民間銀行であるFRBへ「国債」を発行し、FRBはそれを購入する。そしてその国債と同額のドル紙幣(無利子の少額の国債証明書)を発行するという訳だ。解るだろうか。

※米ドルは事実紙幣自体に「Federal Reserve Note」と印字されている。これは連邦準備理事会の債権証書という意味であり、「負債」と同義である。

 

簡単に言えば、政府が発行する国債をFRBが買ってその利子を得るということだ。そして元手となる「紙幣」はただ必要な数量を刷るだけなのだ。実質紙と印刷代しかかからない。にも関わらず莫大な利子による利益を得ることが出来る仕組みとなっている。

 

正に無から有を生み出し暴利を貪っているのだ。そしてそのFRBの株主は民間会社や銀行である。

 

カンの良い方は既に気づいているだろうが、この仕組みからすると、アメリカ経済が財政赤字であればあるほど、FRBは大儲けという事になる。リーマンショックの様な大恐慌で巨額の富を手に入れているのは間違いない。

 

では一体どの様な組織がこのFRBを牛耳っているのか?この答えの1つが「ロスチャイルド家」である。

 

よく陰謀論サイトなどで登場する名前であるため、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、陰謀論などと簡単に片付けてしまってはダメだ。そう思うならFRBの株式保有企業名を調べて見るといい。そこにロスチャイルド系列の企業や銀行が名を連ねている。

 

以下ロスチャイルドの有名な言葉を引用しよう。

 

「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうとそんなことはどうでも良い」 

マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド

 

如何だろうか。勘違いしていただきたくないのは、ここで私がお伝えしたいことは、「ロスチャイルドこそが世界の支配者なのではなかろうか。」などという末梢的な問題ではなく、銀行業は事実として上記のような仕組みで運用されており、それがある一部の組織に集中的な富をもたらすスキームになっている事、そしてそれを殆どの人が知らずに生きている事なのだ。

 

このような仕組みを知らずに、世界中で起きている戦争や、災害の本質的な問題を追求していくことは困難である。

 

TVで偉そうにコメントを垂れている御用経済学者が、筋違いな見解を恥ずかしげもなく披露しているのは、この本質を理解していないことも一つ大きな要因であろう。

 

では次回は、このような仕組みの中で、我々日本の立場がどの様に変化していったのかを考えてみようと思う。